反応

えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧さえつけていた
と言う一文に始まり
 そして私は活動写真の看板画が奇体な趣きで街を彩いろどっている京極を下って行った。
と言う一文で終わる短編 梶井基次郎の「檸檬」である。

僕は今までこの小説の何が面白いのかさっぱりわからないでいたが、最近になってようやくそれがわかるようになった。
この小説の流れを三行で表すとこうなる

人生積んだ鬱だ氏のう
丸善に檸檬の爆弾仕掛けたなう
wktkが止まらない

たったそれだけの事である。
それでも、うつに支配された主人公が、かつて好きだったものを思い出して、重かった腰を上げ丸善に入り、その一角に色とりどりの檸檬爆弾を仕掛けるといういたずらをして再び街に出た時、そこには鮮やかな色彩の街が主人公を待ち構えていて、よし、ちょっと行ってみるか、とて街に繰り出すその様は読む者の心にまで檸檬爆弾を仕掛けていく。

これを一言で言い表す適当な言葉は見つからない。
主人公は不可抗力や事故、それ以外に方法が何もない、そのような理由でどんどん追い詰められていったことと思う。
憂鬱ながらも、少し気を晴らしてやろうとて出かけた所で、衝動的に檸檬爆弾の悪戯を仕掛けた。
自らいたずらを仕掛け、あれを人が見たらどう思うだろう、等とクスクスする・・・

これは、インターネットにもありがちな風景ではないだろうか。
面白い事もない、退屈に支配されて持て余す日々。悪戯自慢や馬鹿な事やってます自慢。
他人の反応や、自分ならそんなことできないという羨望に対する飢えを満たすことで生まれる、ちょっとした全能感、或いは万能感。

この小説には単純な娯楽が描かれている、自分の行動に対して誰かが反応してくれるという快感、それを想像することで得られる期待感。

初めて檸檬を読んだ時から、たぶん10年近くたっているんじゃないだろうか。
今にして、ようやくこんな単純な事が分かったというのは我ながら自分がまだまだ幼い、発達途上であることを感じずにはいられない。
いわんや、まだまだきっと伸び代はあるんだな、と言うことなのです。

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